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『津田梅子』(大庭みな子/朝日文庫)

 

津田梅子 (朝日文庫)

津田梅子 (朝日文庫)

 

『津田梅子』(大庭みな子/朝日文庫)を底本とした埼玉福祉会の大活字本を読んだ。最近、大活字本は読みやすいな~と思う(こんな20代はイヤだ)

この本を読んで、わたしは津田梅子のことを何一つ知らなかった、と思った。社会科で習った、幼い頃国の政策により米国へ留学をしたこと、そして津田塾大学の創業者であるというその文字通りのことしか知らなかった。日本にきてからも日本語がおぼつかなかったこと、生涯結婚をしなかったこと、せいぜいそのくらいしか知らなかった。さらに、梅子と共にアメリカへ渡った他の子女たちのことはまったく知らなかったと気が付いた。

この本には、梅子がアメリカから日本へ戻ってきてから、アメリカでのホストマザーであったアデリン・ランマンへ宛てた手紙の内容を中心に、梅子がどのように考え、女子のための学校を作っていったかが書かれている。ただし今、わかりやすいだろうとホストマザーという言葉を使ったが、実際には7歳から18歳までの梅子の育てた、梅子のアメリカでの親であると言ったほうがいいだろう。

梅子は帰国後、私塾創設の目標を持ち、教育について専門的に学ぶために再度アメリカへ留学している。そこで彼女は生物学でも大きな研究成果を残している。アメリカでその研究を続ける道もあった。それでも彼女は、日本の未来のため、日本の女性の未来のために生きていた。その目標から目を逸らすことはなかった。

 

津田塾大学は今も梅子の精神の多くを受け継いで存在しているように思う。彼女の作った私塾は結婚している女性も区別なく受け入れたが、今の津田塾大学には保育所がある。教職員はもちろん、学生も利用することができる。女性の働きやすさ、生きやすさについてよく妊娠・出産が問題とされるが、学校に保育所があれば学ぶことを諦める必要は少なくなると思う。職場に保育所があればもっと生きやすくなる人は山のようにいると思う。わたしはこれに限らず女性の生きやすさについてよく考えるが、自分をフェミニストだとは思っていなくて、男女が共生する上で当たり前の考えだと思っている。

 

梅子が私塾を創立してから100年以上経つ。彼女が変えたいと思っていた日本は変わっただろうか。当時のように見合いをさせられることは減ったし、結婚しない女性も増えた。けれど変わったこともあるが、まだ根本的に変わっていない、変えなければならないと感じる部分もたくさんあるように思う。

この本を読むことができて本当に良かった。

無事に正しい向きで梅子が紙幣になることを楽しみにしている。