すきによんでねブログ

たかはしりおこが140字に収まらないことを書くブログ

『コスモス』2020年2月号掲載歌/高橋梨穂子

ブログに書いたか微妙なのであらためてきちんと書いておくのですが、昨年の6月にコスモス短歌会に入会しました。掲載歌はいまのところブログにもTwitterにも特にあげてきませんでしたが、今月の掲載歌はぜひ読んでほしいな~と思ったので載せておきます!笑

昼過ぎの内藤剛志胸板のむむっと厚く犯人を追う

玄関の淵に三和土を見下ろしてさみしく並ぶ対のスリッパ

ペットボトルロケット次々飛ぶように背高泡立草伸びる道

秋風は指紋を持たず竹やぶを異国の楽器のように奏でる

以上4首でした。コスモスは毎月10首まで投稿できて、最低でも3首は必ず掲載されます。2首しか送れなかった場合はその2首が必ず掲載される、はず。けれど、最高でも6首しか掲載されません。他の結社と比べるとこのあたりが特徴的かもしれません。提出するときにタイトルはつけられませんが、特選欄に選ばれると選者がタイトルをつけて掲載してくれます。ちなみに選者は輪番制です。

入会して半年ほど経ちましたが、勉強になるしモチベーションになっているな~と思います。コスモスは前述のとおり10首投稿して全部が載ることはなく、もっと多く載るような結社に移ってしまうひとも多いようです。でもわたしには合っている気がします。これからものびのび自由に詠んでいきたいです。所属はできても、あくまで自由に……。それでどこまで行けるかはわかりませんが~~。以上です~~。(締めが雑)(安定)

『母の愛、僕のラブ』(柴田葵/書肆侃侃房)

『母の愛、僕のラブ』に関して、感想がまとまらない。とりあえず、「夢は現実になるかもしれないけど、現実はひたすら現実のままである」という感じ。作者の「歌集を出す」という夢は叶ったかもしれないけど、だからといっておそらくオールオッケーオールハッピーなわけではなくて、例えば日本の夫婦別姓選択はまだ叶わないし、男性の育児休暇取得率は低いし、様々な被害にあったあちこちの「被災地」の復興はまだ終わっていない。別に作者がこういうことを主張しているというわけではまったくないけれど。でも現実生活のもやもやっていうのは、夢のまた夢と思っていたような出来事が叶ったとしても、きっと突然消えたりしないし切り離せないし現実のままだ。変わらずそばにある。そんな感じの歌集だなと思った。読んでからわたしを支配したのはそんな気持ちだった。

でも、歌集出版までの過程そのものはとても夢のある話だ。賞の副賞として出版されたなんて。そして、賞うんぬんはともかく、わたしも歌集を出したいなと強く思った一冊だった。ちなみにこれは短歌をしているわたしの話。さらに、「誰かが短歌を始めるきっかけになり得る一冊」だとも思った。個人的な話になるがわたしは東直子さんの歌を知って短歌に興味を持ち、斉藤斎藤さんの歌を知って短歌を始めた。読んでいるとき、なぜか当時に似た気持ちになった。つまりそういう歌集なんじゃないの、これ。っていう。

 

好きな歌を挙げたいところだがまったく絞りきれない。そして、見かける「好きな歌」がことごとくばらばらなのもとてもよくわかる。この歌集、「捨て歌」がない。一首一首が全力だし、それぞれが個々にきちんと成り立っている。でもさらにすごいのは、それが連作として並んでもとっちらかっていないことだ。本当に上手い。これは昔から思っていることで、わたしが「連作ってこうやって作るんだなあ」と初めて連作について意識したのは葵さんの作品を読んだときだった。一首一首がそれぞれきちんと成り立っていて、でも並ぶときちんとテーマや流れがある。それをめちゃくちゃに堪能できる一冊だった。

宮柊二記念館全国短歌大会の話

宮柊二記念館全国短歌大会で、秀逸Ⅱという結果をいただいた。秀逸Ⅱって、賞なんだろうか。選?そのへんのことがよくわからないので「結果」って書いたんですが……。

この大会はわたしにとって、思い出深い大会である。

小学生のとき宮柊二の作詞した校歌を歌っていた。短歌を始めるのはそれからうんとあとで高校生のときだが、はじめて短歌を作ったのはそんな小学生のとき。校歌の作詞が宮柊二先生だということで、授業で短歌を作って宮柊二記念館の短歌大会に学校から応募したのだった。わたしがはじめて作ったその短歌は、小学生の部で佳作に入った。同級生も数人、佳作や、もっと上の秀逸に選ばれた。だからってそれから短歌を続けていたわけではなく、思い返すとそんなことがあったなあという思い出。だけど、何年も経って始めたのが短歌なんだよなあ。俳句や、もっと他のジャンルではなくて、短歌。運命と呼ぶには薄っぺらすぎるけど、面白いもんだなあくらいには思う。

短歌を始めて、様々な結社が気になりつつも決定打がなく、長いこと無所属だった。が、10年ほど経って「わたしが入るのはここしかない」とコスモスに入会した。理由は大小様々あるが、「宮柊二が創った結社である」ことも間違いなく関係している。そして「コスモス」に宮柊二記念館全国短歌大会の広告を見て、また出してみようと思い、結果「秀逸Ⅱ」に選ばれた。とても嬉しかった。この大会で、という喜びがある。原点回帰とまではいかないけれど、なんだか不思議な気持ち、あったかい気持ち。どうしても運命みたいなものを感じてしまう。

それがわたしと宮柊二記念館短歌大会の思い出の話。大切な大会なので、これからも長く続くように出していきたいなと思う。もっと上の賞を目指して。

2019年10月3首

リプレイでもう一度跳ぶ石川の羽を持たないきれいな背中(Twitter/自由詠/7日)

アオハルを決めつけられているような青いワイシャツすこし着崩す(うたの日/自由詠/10日)

咳をしても一人 はがして食べあったバウムクーヘンのかけら見つかる(Twitter/18日)

 

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10月は35首でしたがほとんど投稿で、既発表になるものがこの3首しかありませんでした。でも好きな3首です。

1首目はバレーボールの歌です。ワールドカップ本当に楽しかった……!終わってからとても寂しくなって、リーグ戦を観に行きたくて仕方ないです。小野寺選手にハマってしまったのでJTが観たいのですが、岡山のチームなので遠いなあと思っています。あとメジャーなところでパナソニック東レですね。パナだと大竹選手、東レだと高橋選手と藤井選手が気になっています。でも、知っている選手がいなくても観たいです。スポーツ観戦欲が膨らみまくっています。

 

車いすラグビーについてのつぶやき

数日前に番組表を見ていたら車いすラグビーがあって気になって録画したのを見ていたんだけど、ものすごく面白かった!車いすバスケは知ってるけどラグビーがあるなんてまったく知らなくて、しかもわたしは車椅子じゃないほうのラグビーもルール全然わかんなくて見てなかったし、どんなもんかな~と思ったけど、逆に解説が手厚くて理解しながら見れた!何よりまずボールを前に投げてもいいのがびっくり。あと特徴的なのが時間制限で、それをすごく考えながら相手の進路を塞いだり、逆に味方の進路を空けたりっていう頭脳戦!タイムアウトの取り方も面白くて。もちろんタックルとかも迫力があって、見応えがすごかった~。

和田誠についてのつぶやき

ミッフィー55周年の時に和田さんの描いたブルーナミッフィーが本当に本当に可愛かった。

父の愛読書のひとつに「ポートレイト・イン・ジャズ」があったし「きまぐれロボット」もあったし、和田誠という名前を認識する前からその独特のタッチが好きだった。特にポートレイトは、和田さんの個性もものすごいのに、当たり前なんだけどきちんと似ていて、本当にすごいと思う。

ご冥福をお祈りするという薄っぺらい言葉が嫌いなんだけど、結局どう言葉にしたらいいかわからない。和田さんの残した作品たちはこれからもたくさんの人に愛されていくと思います。ご冥福をお祈りします。

おはよう

高校一年生の初期、登校すると二番目に教室に入ることが多かった。そんなとき先に教室にいるクラスメイトはいつも同じだった。人見知りもあってクラスメイトと話すこと、特に自分から話しかけることがあまりなかったわたしでも、ある日「おはよう」と声を掛けたんだと思う。「おはよう」と声を掛けて、「おはよう」と返ってくる。そんな朝が続いた。何かを話すわけではなく、いつも、「おはよう」と言い合うだけの関係。わたしが一番に教室にいることもあって、でも彼はその次には教室にやってくる。そんなときは彼から「おはよう」と言われて、「おはよう」と返した。ほんのたまに彼以外のひとが先に教室にいることもあったけれど、そのときどうしていたかは覚えていない。

次第にわたしの登校時間が遅くなっていき、彼と「おはよう」を言い合うことはなくなった。二年生になってクラスも分かれた。

そういえば、うちの高校は三年間下駄箱の使用箇所が変わらない。多くの学校では年度ごとに場所が変わると思うのだが、卒業した三年生の場所を新一年生が使うという仕組みだった。年度が変わるたびに靴を移動させなくていい。効率的。

だから、彼とはクラスが離れてからも下駄箱で会うことがあった。ただ人見知りのわたしは一度離れるとまた距離があいてしまいがちで、その日こちらからは挨拶をしなかった。が、彼のほうから挨拶をされた。朝だったのか帰るときだったのか、つまりおはようだったのかばいばいだったのかはまったく覚えていないが、声を掛けられて、びっくりした。けれど嬉しかった。それから会うたびに挨拶をするようになった。ただ、それだけ。それ以上何かをきちんと話したことはなかったと思う。アドレスも知らない。彼は頭がいいとは知っていたが、卒業後の進路も知らない。「おはよう」のやりとりだけで少しふわっとした気持ちになったこと、それだけが残っている。