連日すきなひとたちの誕生日で、夏生まれさんやっぱりすきだー。と思った。けど、春生まれさんも秋生まれさんも冬生まれさんもすきなので、あんまり関係なかった。
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巨大な文鎮が自分の上にのっかっているように感じることがある。飛べない紙はただの紙。紙飛行機もいつかゴミ。
本を出すなら
わたしが本を作るなら、お風呂に浸かりながら読んでほしい。しなしなにならないというわけではなく、しなしなにしながら読んでほしい。そんな本にしたい。と思った。
捨てるための文字
最近自分の手帳やノートの使い方について考えることが多くて、それが多くの文房具好きの人たちとはかなり違うのではないかというところに行きついたので書く。わたしが文字を書くとき、それは最終的に捨てることが多い。わかりやすいところで買い物メモやToDoリスト。これは用が済んだら迷いなく捨てる。だから使う紙はチラシなんかの裏ばかりだ。いや、残すために書くことだってあるじゃん、日記とか。そう思うかもしれないけれど、わたしの場合日記も一冊終わったらそのまま捨てることが多い。わたしが日記を書くのは、ただ文字が書きたいというだけで、その日の出来事を記録しておこうとか、あとで読もうとか、そういう考えがかなり薄いということに気がついた。いちいち細かく捨てるのではなく、一気に捨てられるから、そのためにノートに書いている、と思った。ノートは、最終的にまとめて捨てやすい、という考え。これに気づいたとき、ノートを作っているひとたちにまじで申し訳ないな、という気持ちになった。
いろいろ切り貼りした日記や、ほぼ日手帳みたいなものを上手に使っているひとたちを見るととても素敵だなと思う、と同時に、わたしにはできないなと思ってきたのは、このあたりが原因だと思う。でもできないから憧れる。今日も裏紙に短歌を作りながら思う。
朝市
いま住んでいる町では定期的に朝市がある。そこで野菜を買うのが好きだ。かごに山盛りたっぷり10本近くある、大きな大きなきゅうり、200円。腰の曲がったお姉さんから買う。さあ、浅漬けにしよう。
なんでもない日
飛行機を見に行った。
手書き文字についてのつぶやき
下に「めんつゆ」と書き足していたら横にいた家族が「ああ!!!!!」と声を上げた。机に放置しいてたのをずっとこの向きで見ていて、どうして地図記号が書かれているのかと思っていたらしい。